light and sea.

澄んだ心 透明な自分でいる時間を長くする。そういうふうに生きる人の日記です。

アイムホーム

年末に帰省して

おせちの盛り込みを手伝ったところ

母が

「私はいつも適当だけど、

あなたがやると全然ちがうね。

やっぱり美的センスが違うんだよね」

とさらっと言ってくれた。

 

父や弟も

「盛り込み綺麗だね」と言ってくれた。

力強い賞賛ではなくごくごく自然に。

 

それが静かにふかーく私の心に響いた。

 

自己実現というものを永らく目指す癖のある自分。

気づけば、

いつもいつも遠くにある何かを求めているのだけれど

つまるところ私は他者からの承認が欲しいだけなのだと思う。

 

そして誰からもらうどんな承認よりも

家族がわたしの美意識を認めてくれる、そのことが私をふかーい幸福感へと導いてくれると気づいた。

 

私が欲しかったのはただそれだけだったのね。

 

私は、ずっと小さい子供の頃の心のまま

体と頭だけは大人になって

自分が何を欲しがっているのかわからないままだったよ。

 

ごくごく身近な大切な人たちが

「そのままのあなたでいいのよ」

って言ってくれる。

 

それだけで良かったのに

そのままの自分じゃ何ももらえない気がして

たくさんたくさん寄り道したなあ。

 

おかえり、わたし!

 

神さまとの約束

3年くらい前だろうか?

 

人生のいろんなことが

うまくいかなかったとき。

 

自分の内側も外側も

閉塞感でいっぱいで一歩も動けなかったとき。

 

わたしは

 

「変わるんだ!

ぜったいに自分で自分を幸せにするんだ!」

 

と決めた。

 

 

その時に、まず神さまと約束をした。

 

 

「神さま、

わたしはこれから

どんな小さな贈り物でも

全力で喜んで受けとります」

 

そう決めて、

時に約束を胸に

時に約束を忘れながら

振り返れば淡々と時は流れた。

 

そうして、来年、

わたしの途方も無いと思っていた夢が

叶うことになった。

 

さわやかな風が吹く場所で

子供たちにアートを教えるアトリエを持つこと。

 

 

その夢がふいに叶うことになった。

 

 

神さまと約束をしたあの日から

たくさんの願いや夢がかなってきた。

 

夢が現実になる

喜びや

あっけなさ

不安

静けさ

 

「夢が叶う」

という物質的な事実と

それを前にして湧き上がる

心の内がわのさざ波。

 

わたしは豊かになることもあった。

人から羨まれることもあった。

どきどきとして万能感でいっぱいになることもあった。

 

同時に

欲しいと思っていたものを手に入れた後の空虚感も味わった。

豊かになったら愛されない、という

思い込みに涙することもあった。

 

なにかを夢見て生きると

たくさんの景色が通り過ぎていく。

 

そうして、わたしは

叶わないことはないのだと、

静かな水面の真ん中に立つような気持ちでいる。

 

願いが叶うことなんて普通のことなのだ。

 

 

ずっとそのことに

いろんな意味づけをして

生きてきた。

 

 

人生に退屈しないように。

 

 

あるいは、

もう覚えていないくらい

遠い日の何かの傷をかばうために。

 

 

願いは叶う。

わたしはもう、ずっと幸せだし

なにもかも欲しいものを当たり前に手に入れていいんだ。

 

 

そうして、

静かな喜びに包まれながら

毎日が流れていく。

終わりの日が来るまで。

 

 

神さま、

生きるって

そういう風だよって

わたしはここまできましたよ。

ありがとう。

 

 

falling

そういえば

「さよならを言いたくない」

特別な人ができたのでした。

(付き合ってません。笑)

 

少し前まで、

性欲もときめきも枯れ果てて

自分はこのまま閉経するのか、、?

って真剣に思ってたのに。笑

 

落ちるときは、

いつもふいに、だと思う。

 

次誰かを好きになるなら

お金持ちで、あーで、こーで、、

と色々と条件をならべたてていたのに

そんなものは全部吹き飛んで

彼の笑った声と笑った顔が特別なものになった。

おかしいね。

だけど、こんな予想できないところが

人生の楽しいところだね。

 

彼にはパートナーがいるので

私と彼がパートナーになることはない。

 

不思議と

彼から何かもらいたいという望みはない。

 

私も彼になにかを捧げたいだとか

そんな想いもない。

 

彼が彼らしく生きている姿を

少し離れた場所で見る。

この人のことが、特別だと思いながら。

 

秋の匂いのする

温泉に浸かってるような気分だよ。

 

あったかくて、幸せで

何でか胸がくるしくなる。

 

宝箱から、ちいさな宝ものを

ひとつひとつ取り出すような

幸せな毎日です。にこにこ。

 

 

さよなら さよなら

なんだか流れがきたな、と思ったので引っ越すことにした。

 

早起きと人ごみが嫌いな身で会社員をするのは辛い。

なので、どーにかして働かずに生きたいとばかり思ってきたけれど

会社の近くに住めば、たくさん眠れて電車にものらずに済むと気づいたよ。素

えっ、みんな知ってました?

えっ、えっ。

 

上司が

「いい家に住みなよ、

住まいがいいとね、あとのことにお金使わなくなるんだよ」

と言ったのが何故か琴線に触れた。

 

物欲のあまりない自分に出会ってみたいなあ。

 

白っぽくてがらんとしてて

植物が密やかに呼吸している

風通しのいい部屋。

 

そんな部屋で本を読んだり

ピアノを弾いてる自分を想像したら

静かなときめきが湧いてきた。

 

こういう感覚いいね。

 

引っ越すぞ、と決めて

部屋に帰ったら大切にしていた高価なお香立てが割れた。

 

次の日には何と鍵が行方不明に、、

 

変化の前には「変わらないで」のサインがいつも来る。

 

ごめんね、でも行かなくちゃ。

 

キラキラを求めて、

憧れがぎゅっと詰まった今の部屋で生活を始めて一年半。

 

キラキラふわふわ、

そんな自分でいるのは楽しかったし

遠く遠くを夢見て心を燃やすのは

ずっとなくならない私の一部だと思う。

 

けれど、私は、

いまの、なーんにも頑張ってないのに

気づけば理想を全て持ってる

地味で普通の私が大好きだ。

 

だから、

あの頃の自分とも、いまの部屋とも

握手をしてお別れ。

さよなら、さよなら。

 

 

 

 

 

40℃のしあわせ

24歳のころ、、

わたしの心はぽっきりと折れてしまった。

 

大好きだった仕事をがむしゃらにがんばっていたら

ある日とつぜん落とし穴に落ちるように

心も体も言うことを聞かなくなった。

 

それをきっかけに「ソース」という自己啓発本に出会い

『ワクワクすることをする』という生き方を知った。

 

ワクワクすること

大好きなこと

キラキラ

ドキドキ

 

こころの温度がぐーーんと上がる

特別なもの

 

そういうものこそ

人生の宝物だと信じて

それがあれば完璧にしあわせになれる!と

わたしなりにトライアンドエラー

走ってきた。

探し回ってきた。

 

だけど、最近ふっと力が抜けて

ドキドキでもワクワクでもない

じーーん…とした幸せ、、

 

40℃のお風呂につかったときのような

ふーーっと息つく

要らないものを全て降ろした

安心感

そんな包み込まれるような幸せ

 

それが自分の大切なコンパスなんじゃないかなあ?と思うようになった。

 

今まで追い求めてきた

湧き立つような100℃のものたち

 

たくさんのお金

運命のパートナー

きらびやかな生活

ルブタンの靴

華やかなチャンス

わかりやすい名声

 

それらを手にすることが人生の目的だと

それ以外は本物の幸せではないと

 

なんだかリアルなファンタジー映画をずーーっと見ていたような気がする。

ドキドキするけれど、見終わるとどっと疲れるの。

そしてしばらくすると、

急に不安になって

また新しい映画を見ないと不安になってしまう。

 

 

 

「幸せは、ふやしていくもの」

そう思ったら、100℃の幸せを追い求める執着はもうなくなって

安心がやってきた。

 

幸せはたくさんあった。

 

朝起きてから淹れる

お気に入りの紅茶の香りの中に

 

変わりゆく季節の風の中に

 

窓から眺める美しい夕日の中に

 

満ちてはかける月の光の中に

 

毎日の中にある

ちいさなものたち

 

小さいけれど

わたしの世界でふわっと光り

淡く美しく色づくものたち

 

そういうものが

わたしの「わくわくするもの」だったんだなって、

そう気づいたよ。

 

wonderful world!♡!

 

 

 

 

 

 

 

rainy night.

えへへ、

さみしいよ、かなしいよ、

ごまかすのはやだよーーー

 

って1人でめそめそ泣いたら

とってもスッキリしました。

 

正直なのがわたしらしいと思う。

 

あのね、

ずっとずっと強くなりたかったの。

 

働いて、お金を稼いで、

自分1人の力で生きてく。

 

そういう力を手に入れたかった、

手に入れないといけないと思ってもがいてきた。

ずっとずっと。

もう10年くらい。

 

周りの人は

「あなたが、頑張るポイントはそこじゃないよ。

人に助けてもらっていいんだよ。」

ってなんども言ってくれたけれど

はねのけてきた。

 

この半年間、

楽しみながら苦しみながら

今までで一番の報酬をもらって

気づけばあんなに欲しかった

「自立した生活」がナチュラルに手に入った。

 

だけど、

それじゃあ何も満たされなかった。

手に入れてみて初めてわかったよ。

 

あんなにあんなに強くなりたくて

自分の足で立ちたくて

欲しくて欲しくてたまらないと思ってたのに

ダミーだったなんてね。

おかしいね。

 

強くなくっていい

すごくなくっていい

 

わたしはいつも

綺麗なもののほうを向いて

澄んでいたいと思うよ。

 

澄む、っていうのは

うれしい時に笑って

かなしい時になくこと。

 

誰にも何もお返しできない

だけど、いつも正直でいるの。

 

今、雨の音を聞いているのが

幸せ。

雨の夜が好き。

そんなことが、わたしの幸せ。

ずっとね。

 

今のわたしの人生の目的は

澄んだわたしでいる時間を長くすること。

 

(わたしのメンターが

「人生の目的は

笑ってる時間を長くすること」

と言っていて、その真似)

 

(わたしは自分の思いに正直に

怒ったり泣いたりするのも

尊くて好き)

 

 

はーー

やっとここまできたよ。

長かったな!えへへ。

 

 

ぼくをみつけて

かなしくてさみしくてむなしい。

 

虚しいのは、自分の望みを何かでごまかしてるからなんだって。

 

ごまかしてること

思い当たり過ぎて数えきれないよ。

 

ほんとうは、ほんとうは、

寂しくて悲しい。

 

すぐそばに嬉しいこと、悲しいこと

子供みたいに真っ直ぐに分け合える人がいたらいいのに。

 

毎日ぐっすり眠りたいのに。

 

「そんなこと言われたら悲しい」

って言えたらいいのに。

 

楽しい時に笑って

楽しくない時にはスルーして

そういう当たり前のこと当たり前にしたいのに。

 

目の前にあるからじゃなくて

一番選びたいから選ぶ。

 

そういうふうでいたいのに。

 

どれだけ豊かで恵まれてて

自分の足で立つって願いが叶っても

わたしはさみしくて悲しいの、

ほんとうは、ほんとうは。

 

ポジティブに変換して

キラキラした刺激でごまかして

そんなことするたびにカラカラに乾いてく。

 

成功も成長も一番に欲しいものじゃないよ。

 

わたしが欲しいものは

楽園のような

安心と安らぎがある

普通の日々だよ。

 

 

この世界を生きる宝物を分けあえる

かけがえのない大切な人だよ。