light and sea.

澄んだ心 透明な自分でいる時間を長くする。そういうふうに生きる人の日記です。

40℃のしあわせ

24歳のころ、、

わたしの心はぽっきりと折れてしまった。

 

大好きだった仕事をがむしゃらにがんばっていたら

ある日とつぜん落とし穴に落ちるように

心も体も言うことを聞かなくなった。

 

それをきっかけに「ソース」という自己啓発本に出会い

『ワクワクすることをする』という生き方を知った。

 

ワクワクすること

大好きなこと

キラキラ

ドキドキ

 

こころの温度がぐーーんと上がる

特別なもの

 

そういうものこそ

人生の宝物だと信じて

それがあれば完璧にしあわせになれる!と

わたしなりにトライアンドエラー

走ってきた。

探し回ってきた。

 

だけど、最近ふっと力が抜けて

ドキドキでもワクワクでもない

じーーん…とした幸せ、、

 

40℃のお風呂につかったときのような

ふーーっと息つく

要らないものを全て降ろした

安心感

そんな包み込まれるような幸せ

 

それが自分の大切なコンパスなんじゃないかなあ?と思うようになった。

 

今まで追い求めてきた

湧き立つような100℃のものたち

 

たくさんのお金

運命のパートナー

きらびやかな生活

ルブタンの靴

華やかなチャンス

わかりやすい名声

 

それらを手にすることが人生の目的だと

それ以外は本物の幸せではないと

 

なんだかリアルなファンタジー映画をずーーっと見ていたような気がする。

ドキドキするけれど、見終わるとどっと疲れるの。

そしてしばらくすると、

急に不安になって

また新しい映画を見ないと不安になってしまう。

 

 

 

「幸せは、ふやしていくもの」

そう思ったら、100℃の幸せを追い求める執着はもうなくなって

安心がやってきた。

 

幸せはたくさんあった。

 

朝起きてから淹れる

お気に入りの紅茶の香りの中に

 

変わりゆく季節の風の中に

 

窓から眺める美しい夕日の中に

 

満ちてはかける月の光の中に

 

毎日の中にある

ちいさなものたち

 

小さいけれど

わたしの世界でふわっと光り

淡く美しく色づくものたち

 

そういうものが

わたしの「わくわくするもの」だったんだなって、

そう気づいたよ。

 

wonderful world!♡!

 

 

 

 

 

 

 

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rainy night.

えへへ、

さみしいよ、かなしいよ、

ごまかすのはやだよーーー

 

って1人でめそめそ泣いたら

とってもスッキリしました。

 

正直なのがわたしらしいと思う。

 

あのね、

ずっとずっと強くなりたかったの。

 

働いて、お金を稼いで、

自分1人の力で生きてく。

 

そういう力を手に入れたかった、

手に入れないといけないと思ってもがいてきた。

ずっとずっと。

もう10年くらい。

 

周りの人は

「あなたが、頑張るポイントはそこじゃないよ。

人に助けてもらっていいんだよ。」

ってなんども言ってくれたけれど

はねのけてきた。

 

この半年間、

楽しみながら苦しみながら

今までで一番の報酬をもらって

気づけばあんなに欲しかった

「自立した生活」がナチュラルに手に入った。

 

だけど、

それじゃあ何も満たされなかった。

手に入れてみて初めてわかったよ。

 

あんなにあんなに強くなりたくて

自分の足で立ちたくて

欲しくて欲しくてたまらないと思ってたのに

ダミーだったなんてね。

おかしいね。

 

強くなくっていい

すごくなくっていい

 

わたしはいつも

綺麗なもののほうを向いて

澄んでいたいと思うよ。

 

澄む、っていうのは

うれしい時に笑って

かなしい時になくこと。

 

誰にも何もお返しできない

だけど、いつも正直でいるの。

 

今、雨の音を聞いているのが

幸せ。

雨の夜が好き。

そんなことが、わたしの幸せ。

ずっとね。

 

今のわたしの人生の目的は

澄んだわたしでいる時間を長くすること。

 

(わたしのメンターが

「人生の目的は

笑ってる時間を長くすること」

と言っていて、その真似)

 

(わたしは自分の思いに正直に

怒ったり泣いたりするのも

尊くて好き)

 

 

はーー

やっとここまできたよ。

長かったな!えへへ。

 

 

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ぼくをみつけて

かなしくてさみしくてむなしい。

 

虚しいのは、自分の望みを何かでごまかしてるからなんだって。

 

ごまかしてること

思い当たり過ぎて数えきれないよ。

 

ほんとうは、ほんとうは、

寂しくて悲しい。

 

すぐそばに嬉しいこと、悲しいこと

子供みたいに真っ直ぐに分け合える人がいたらいいのに。

 

毎日ぐっすり眠りたいのに。

 

「そんなこと言われたら悲しい」

って言えたらいいのに。

 

楽しい時に笑って

楽しくない時にはスルーして

そういう当たり前のこと当たり前にしたいのに。

 

目の前にあるからじゃなくて

一番選びたいから選ぶ。

 

そういうふうでいたいのに。

 

どれだけ豊かで恵まれてて

自分の足で立つって願いが叶っても

わたしはさみしくて悲しいの、

ほんとうは、ほんとうは。

 

ポジティブに変換して

キラキラした刺激でごまかして

そんなことするたびにカラカラに乾いてく。

 

成功も成長も一番に欲しいものじゃないよ。

 

わたしが欲しいものは

楽園のような

安心と安らぎがある

普通の日々だよ。

 

 

この世界を生きる宝物を分けあえる

かけがえのない大切な人だよ。

 

 

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「ある」を増やしていく

夏の暑さが和らぎ

秋の涼しい風が吹くと

いろんな緊張がすっとほどけて

心の奥底にしまいこんでいたものが

水の中の泡のようにぷくぷくと顔を出す。

 

元夫とのことを思い出しています。

 

彼との日々は

本当に彼に与えられるのが当たり前だった。

わたしは彼がくれる豊かさを食い尽くしてばかりで

何も増やすことができなかったな。

いつも、愛してるならもっとちょうだいって、口を開けてないない探しばかりしてた。

 

男の人というのは偉大で

大成する前から、パートナーや家族の人生を背負ってくれる。

それがどんなにありがたいことか。

だけど、そんなことに気づくことも感謝することも怖くて、ずっとずっと逃げてここまできちゃった。

 

わたしはこれから、

自分がどれだけ恵まれているのか

世界に守られているのか

意地を張らずに感謝してく。

 

意地っ張りだからなーできるかな、、

 

ないない、もっともっとをやめて

「ある」を増やしてく。

そういうふうに変わっていきたいな。

 

 

 

i am 、、

数日前に

犬飼ターボさんの「がまんとくっつき」コラムを読んでから、自分の中に風が吹くような、大きな岩がくだけるような、そんな感覚があります。

http://inukai.tv/course/explan.htm

 

何かになりたい、あれが欲しいこれが欲しいと遠く遠くを見つめて進んだら立ち止まったり喜んだら泣いたり。

 

そうやってここまでやってきたけれど

本当の望みは、力を抜いて、自分自身でい続けることなのだと気づいた。

 

キラキラしなくていい

特別じゃなくていい

誰にどう思われたってそんなこと私の価値には関係のないことだよ

ああ、そもそも、「自分の価値」だなんてそんな意識さえも忘れていたい。

 

わたしは

光と緑の呼吸でいっぱいのアトリエで

大好きな子供たちと

芸術に囲まれて

そういう瞬間の連続の中に生きていたい。

 

 

とても幸せなことに、今わたしはその入り口に立ってる。

 

今の連続が未来になる。

 

欲しいものを手に入れるために

頑張らなきゃ頑張らなきゃって自分を押し込める。

いつの間にか魂がぐれてしまって

「こんな今は嫌だよ!」って今を否定し始める。

そうして大嫌いな今から逃げ出すために、それを正当化するために本心ではない目標を掲げて、また自分を押し込める。

ここではないどこかへ連れてってくれる誰かにくっつこうとする。

 

そんなこと、ずっとやってきたな。

 

ずっとずっと、もう、自分らしくいていいし、幸せでいいって許されてたのにね。

 

「なりたい自分」

さよなら。

 

 

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さよならを言いたくない

最近驚くほど恋愛に興味がなくなってしまった。

 

以前はちょっとした恋愛依存のようなところがあったのに。

異性と接する機会もほどほどあるにも関わらず、まったくときめきがない。

 

人を好きになるってどんなだっけ?

そもそも自分はどんな人が好きなんだっけ?

 

過去へと記憶を辿らせてみると

恋に落ちる時は、別れ際に必ず

「この人にさよならを言いたくないな。

もっと一緒にいたいな」

と感じていたな。

自分が誰かを好きになる時のコンパスはそれだった。

 

そのことをふっと思い出したので書き留めておこう。

 

君の宝物なあに?

仕事で、幼稚園児に「あなたの宝物はなんですか?」と尋ねることがあった。

 

その後、

「わたしの宝物はなんだろう?

質問されて、人をじーんとさせるような、そんな答えがさっと出るだろうか…?」

と考え込んでしまった。

 

記憶をたどって思い当たったのは父との思い出だった。

 

わたしは幼い頃から絵や工作が得意だった。

父の家系が芸術を生業にしていたらしい。

 

父はわたしの絵を掛け軸風にアレンジして玄関に飾ってくれたり

大人用の一眼レフの使い方を教えてくれて、わたしの撮った写真で本を手作りしてくれたりしていた。

 

わたしが漫画を描きたいというと、家から遠い教室まで、父の運転で通わせてくれた。

 

父はわたしのことをいつでも1人の絵描きとして大人のように扱ってくれた。

 

母は忙しい人だったけれど

小学生のわたしに油絵のアトリエを紹介してくれた。

小学生でアトリエに通っていることは当時のわたしにはとても誇らしいことだった。

 

わたしの宝物の1つは、

家族から自分の才能を尊く扱ってもらったことだと、今になってわかる。

 

当たり前だと

ささやかなつまらないものだと思っていたものが

日常の景色のようなものが

わたしにとって宝物だったよ。

 

君の宝物はなあに?

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